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掛軸 松村呉春
京都にある四条東洞で活動をし、四条派という言葉まで生み出させた画家、掛軸買取 松村呉春。大胆な構図と繊細な筆遣いで描かれる作品の多くは、現代の日本美術界でも非常に重要な位置を占めており、多くの人々に衝撃を与え続けています。そんな、松村呉春は1752年に京都堺町通四条下ルに生まれます。金座の平役という家業を手伝っており、給与も非常に良かったことから、非常に裕福な生活を送っていたと言います。その背景もあり、多くの芸術へも触れる機会の多かった松村呉春。大西酔月の門を最初に叩いたと言われていますが、その死後は与謝蕪村の内弟子として入門、俳諧や南画を学んだと言われています。安永末頃には、非常に裕福で安泰であった金座の仕事を捨て、本格的に画業へと生活を変化させていったと言われています。様々な作風で描かれる作品がのこっており、池田時代と呼ばれる時代があったとされます。この頃には、師であった蕪村風の筆法による、力強い画風の人物画に花鳥画を多く残しており、俳画としても優れた作品を生んでいます。しかし、師である蕪村が死去してしまった後には、円山応挙に接近していきます。今までの画風とは対照的とも言える画風であっただけに、新しい挑戦でもありましょいたが、その才能を活かし自らの芸術の中へと取り込んで行くこととなったのです。そして、写実画へ完全に転換した後は、文人画の味わいを残しつつ写実的な作風で作品を描きます。大乗寺障壁画「四季山水図」は、完全に円山派風へと変化を遂げます。松村呉春は、円山応挙が死去した後に京都画壇の中心となります。そして、その松村呉春の住む場所から集まる人間達は、四条派という人物として呼ばれることとなります。社交を好む、非常に気さくな人間だった松村呉春。俳諧に書、篆刻lから謡曲、横笛、蹴鞠に至るまで堪能だったという、才能の幅広さを見せた人物でもあったのです。さて、そんな松村呉春の作品は掛軸買取においても、非常に人気が高く高価買取で取引されます。「京都の画風は、応挙において一変し、呉春において再変した」とまで言われた、京都画壇の最高峰人物だった松村呉春。数々の功績だけでなく、その存在そのものが、多くの美術関係者に影響を及ぼしていったのです。
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